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祭り当日は、倉敷駅前から倉敷市立美術館までの倉敷中央通りがメイン会場となり、「音楽隊パレード」や「倉敷天領太鼓」、「千歳楽」、「素隠居」といった郷土色豊かな催しが繰り広げられ、白壁の町は祭り一色に染まります。また、18時より恒例の「代官ばやし踊り」と、「OH!代官ばやし踊り」がスタート。例年、総勢3,500人以上の老若男女が熱気に包まれた会場を乱舞する姿は壮観です。
倉敷天領夏祭りとは
昭和46年に旧市庁舎前広場にやぐらを組み、盆踊り形式で始まった夏祭り「盆踊り大会」が、倉敷天領夏祭りのはじまりです。
そこで踊られていたのが、昭和41年8月に発表された「代官ばやし」です。戦後、全国的な炭坑節の大流行にあわせて各地で盆踊りが復活。その後、市内各地でまちまちに踊られていたものを統一し、「倉敷らしさ」を表現したものを、という発案で生まれました。
「盆踊り大会」はその後、昭和58年の第13回より会場を変え、駅前中央通りを踊り流す現在の形になりました。現在の「倉敷天領夏祭り」という名称は、この時市民の一般公募により決定されました。
平成12年に行われた記念すべき第30回では、全国から多くの若者が倉敷に集まる夏祭りになるようにと、「代官ばやし」を若い方に向けたロック調の「OH!代官ばやし」が新たに生まれました。
以降、正調「代官ばやし」とともに倉敷駅前中央通りを踊り流すコンテスト形式の市民総踊りをメインイベントとし、「倉敷天領太鼓」「音楽隊パレード」「倉敷小町選考会」などの夏祭りを彩る各種イベントとともに、日中から夜まで楽しめる市民のお祭りとして発展、現在に至ります。
倉敷小町選考会 | 倉敷天領太鼓 |
天領という名の由来
倉敷はその昔、江戸幕府直轄の支配地「天領」で、全国60の代官所の中でも3番目の大天領で、備中一円から讃岐路までの行政と司法を司っていたそうです。「代官ばやし」の歌詞にも「倉敷代官にらみをきかしゃ、池田の殿様べそをかく。おらが代官百姓の味方、阿知の干潟に黄金咲く。天領商人見上げた気っ腑、代官悪けりゃつまみ出す」とあるとおり、住民と代官との関係は良好で、倉敷発展の礎を築いてきました。
住民はこの「天領」を誇りとしており、今も「倉敷天領夏祭り」をはじめとして、倉敷をあらわす代名詞として使われています。